モリゴローの雑記帳

英検準1級を目指すアラフィフお父さんのブログ

アミバ考

いきなりですが、皆さんはアミバって知っていますか?
昭和のアニメ「北斗の拳」に出てくるキャラクターの一人です。
今年は「北斗の拳35周年」だそうですね。

一般的には「病的ナルシスト」「狂気の偽物」などと、ジャギとならんで劇中最低の呼び声高いキャラクターですが、このアミバについてちょっと真面目に考えてみました。

 

アミバの有名なセリフに「俺は天才だ~!」があります。一般的にはこのセリフは「=身の程知らず」「=うぬぼれ」さらには「面白くないギャグ」ととらえられています。

 

しかし、アミバ少年がもしも幼少の頃から勉強もスポーツも周りの人より上手にでき、親をはじめ親戚、近所の人、同級生からも「アミバ君は勉強もスポーツもいつも一番。天才だね~!」と言われて育ったとしたらどうでしょう。実際、人一倍努力もしたし周りの期待にも応えていた。

学校を卒業し故郷から大都会へ出てみると、もっと頭のいい人、もっとスポーツが上手にできる人は五万といたのです。

かつては「天才」と呼ばれていました人が、大人になってからは「凡人」としか見られなくなる、そうすると何が起こるか。
周りからちやほやされなくなるのです。
名前もろくすっぽ覚えてもらえない「その他大勢のただの人」になってしまうのです。

まさに、「井の中の蛙大海を知らず」 「お山の大将」

そんな状況になり、こう思ったはずです。
「そんなはずはない!俺は子供の頃は人より何でもできた。人一倍努力もした。その俺が凡人であるはずがない。このままで終わるような俺ではない!」

 

そして199X年世界は核の炎に包まれたのです。
アミバ少年を褒めてくれた両親・親戚、友人たちは皆亡くなってしまいました。

アミバ青年には、「すごいね!さすがだね!天才だね!」と言ってくれる優しい両親も友達もいなくなってしまいました。元々頑張り屋さんだったアミバ青年は、大人になってからも幼少の頃と同様に「天才」と呼ばれるために、故郷のやさしかったみんなの思いが過去の忘れ去られるワンシーンでないように、南斗聖拳を学び、さらに「その他大勢のただの人」との違いを見せるため、一子相伝で広く学ばれていない北斗神拳さえも独習し、ケンシロウと互角に戦えるレベルまでに身につけたのでした。
いや、現に拳法の正統伝承者レベルでなければアミバには勝てなかったでしょう。そう、北斗の拳の世の中ではアミバに勝てる者は少数しかいなかった。

こう思ったはずです。
「どうだ!南斗聖拳北斗神拳も身につけることができた。凡人にできるか?俺が天才だからできたんだ!故郷のみんなが言ってくれたことは嘘ではなかったよ。」

 

そして、奇跡の村でトキに出会ってしまいます。しかもトキは北斗神拳の正統伝承者ではありません。そのことだけを見るとトキも自分と同じと思ったのでは。
そして、その時に今まで積み上げてきた自分のプライドがぶち壊されます。
「誰だか知らぬが」(→その他大勢扱いされた)
「この老人の足には時間がかかる」(→俺には俺の知っている秘孔があるのだ。ちょっと間違ったけど。)
「生兵法は使わぬことだ」(→てめえだって正統伝承者じゃねえだろ。俺は南斗聖拳北斗神拳も会得したんだぞ)

 

それでアミバのこんなセリフに繋がります。

「だが、誰も認めん。誰も奥義を授けようとはせん!トキも俺の天分を認めようとはしなかった。」

「俺を認めなかったバカどもをいずれ俺の前で平伏させてやるわ~!そして俺にバカどもが媚びるのだあ!」

「うくくっ!トキと俺とでは差があるというのか、俺が劣ると・・・。そんなわけはない、俺は天才だ!誰も俺には勝てん!!」

「くっ!トキ!トキ!トキ!どいつもこいつもトキ!なぜだ!なぜやつを認めてこの俺を認めねえんだ!!」


アミバの悲劇は、この世界においてごく少数しかいるはずのない自分より強いやつに出会ってしまったことでした。

 

でも、こういう話って、実は現実社会にも多々ある話ではないのでしょうか。
小さい頃は「神童」と呼ばれ、でも大人になって普通の人になる。
大多数の人は、世の中そんなものだと思って、ああ、昔そんなこともあったよね。で終わるのですが、
幼少の頃の持ち上げられ方と大人になってからの現実のギャップが大きい人、成績至上主義な人、人間の価値なんていろいろな見方があるということが分からない人、なんかは、アミバと似たような思考回路になるのではないでしょうか。いわゆる「いい子ちゃん」で育って大人になって引きこもるとか暴れるとか命を絶つとか・・・。

 

そう考えると、アミバの台詞には奥深いものがあると思ってしまうのです。