モリゴローの雑記帳

英検準1級を目指すアラフィフお父さんのブログ

ロシア語2

今日の新聞の夜のTV欄には、「世界の村で発見!!こんなところに日本人」で、「▽ロシア・・・高岡早紀が涙・・・日本語を忘れた元日本兵89歳!!15歳で戦地へ・・・シベリア抑留72年ぶりに帰国!再会」という番組が書かれていました。

私は、「ロシア」「元日本兵」という単語もそうですが、「日本語を忘れた」という部分に特に引き付けられました。

日本兵とは、北海道遠別町出身の田中明男さんのことなのですが、第二次世界大戦後にソ連の捕虜となり、その後も日本に帰国はせず、以来ずっとロシアに住み続けています。

TVでは、高岡早紀さんがサンクトペテルブルグ郊外の村に住む田中さんを訪問するのですが、田中さんは日本語をほとんど忘れてしまっていて、考えても出てこない様子でした。
日本で生まれ育ち15歳で軍隊に志願してからも軍隊内では日本語だったでしょうし、終戦の18歳までは少なくても日本語の生活だったはずです。母国語である日本語を18年間使っていても、その後72年間全く使っていないと、ほとんどすべてを忘れてしまうということが驚きでした。
番組内で田中さんは「周りに日本語を話す人がいなく、全く使っていなかったから」と言っていました。
逆に、日本語を忘れないように毎日努力すれば、忘れないものなのかな?
田中さんの場合は日本への帰国をあきらめロシアで生きていくしかなかったなかで、日本語力をキープするどころではなかったということは容易に想像がつきます。

番組の後半で、ロシア語で喋っていたのに突如日本語を話しました。
「久しぶりに(このテレビの取材で)日本語を聞いたから、でてきたのかも」のようなことを言っていました。
これは・・・我々日本語ネイティブが外国語を勉強する時にも参考になるのでは。つまり、勉強している外国語に意図的に接する機会を増やすと忘れにくくなる=でてきやすくなるのではないでしょうか。
最後に田中さんは、「私は 愛しているであります 女房を」と言っていました。語順がロシア語のままですが単語は日本語。しかも軍人のしゃべり方。シベリアに抑留されそのままロシアに残った人は1000人ともいわれていますが、もう戦後70年以上。いずれはこういう人たちはいなくなってしまいます。
未来への教訓として、こういうことがあったということを残しておくべきものだと思います。